龍馬の残したもの - 【坂本龍馬の背中を追う】

龍馬の残したもの

坂本龍馬が残したものは、着物や写真などの他に、自筆の手紙などがあります。その中には、龍馬がどんな人物だったのかが、わかるような言葉や現代に伝えられた逸話など、たくさんあります。その内のいくつかを紹介します。

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龍馬の名言

坂本龍馬は、「世の中の人は、私の行動を言いたいように言えば良い。私の行動の真意は、私だけが知っている」と言う内容の和歌を作っています。この和歌は、京都の国立博物館に所蔵されており、国の重要文化財に指定されています。また、龍馬が作った和歌の中で、最も知られているものではないでしょうか。

日本を洗濯

坂本龍馬が文久3年に、姉・乙女へ宛てた手紙の中で、「幕府には悪い役人が大勢いるので、私は戦って日本をもう一度、洗濯しなければなりません」という内容の事を伝えています。 また龍馬は、「自分1人で天下を動かす事が出来るとしたら、それは天命です。そして、 長生きをすると思わないで欲しい。」という内容も伝えています。まるで、これから起きることを知っていたような内容の手紙です。

世界の海援隊

西郷隆盛

大政奉還が成し遂げられた後、新しい政府の役職に関する書類が提出され、その中に坂本龍馬の名前がない事に対して、西郷隆盛が「なぜ、龍馬の名前がないのか」という問いに、「役人は窮屈で自分には合わないから、世界の海援隊にでもなろうかな」と答えたと言われています。同席していた海援隊の陸奥宗光は、「西郷よりも龍馬が、大きな人物に思えた」と話したといいます。

龍馬の逸話

龍馬の逸話は、後から作られたものや、元々の話しが定かではないものも多くあります。 その他、坂本龍馬がどのような人物であったかを、分かりやすく表現した話で、事実ではないとも言われている話もあります。

常に先を見る

坂本龍馬

長い刀を持つのが土佐藩士の間で流行した時に、龍馬の友人は流行に合わせた長い刀を持っていました。その時、龍馬は短い刀を持っており、「短い刀の方が、実践で使うには扱いやすい」と言い、その言葉に友人は、納得します。

次に会った時に、龍馬は「銃と刀では、刀は役に立たない」と言う言葉に又も納得し、更に再会した時龍馬は、「世界の事を知る必要がある」と言い、現在の国際法である「万国公法」の本を読んでいました。友人は展開の速さに、ついていけなかったと言われています。坂本龍馬は今現在のことよりも、その先を見ていた事がとてもわかります。

名前の由来

「龍馬」と名付けられたのには、母・幸が龍馬の生まれる前日に見た夢に、「龍」が出てきた事と、生まれてきた龍馬の背中には、毛が生えていてまるで、たてがみのようだった事から、「龍」と「馬」の字が使われ「龍馬」と名付けられたと言われています。

水泳の訓練

坂本龍馬は、泳げなかった頃に姉・乙女から特訓を受けたという話があります。その特訓の方法は、龍馬の腰に竹竿と縄を繋いだ先を結び、命綱の代わりにして、龍馬を川へ放り込み、泳ぎを覚えさせたと言う話が残されています。

また、龍馬は雨の日に水泳の訓練に出かけ、偶然会った友人に「雨なのに泳ぎに行くのか」と聞かれて、「結局は濡れるのだから、天気は関係ない」と返答をしたと言われています。姉・乙女との特訓を思えば、雨ぐらい平気な気はしますが、この考え方は、姉・乙女からの影響なのでしょうか。

地球半周

勝海舟

坂本龍馬が、勝海舟と出会ってから、暗殺されるまでの約5年間に、約2万キロを船で移動したと言われています。この距離は、地球半周と同じ距離なので、龍馬はあの時代に、地球の半周を移動していたことになります。


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