人物像

龍馬は、武士の家に生まれ、武市瑞山を中心とした土佐勤皇党に加盟などの志士として活動のほか、貿易と政治の組織を結成など実業家としても活動しています。 その他に、勝海舟など色々な人との関わりを持ち、薩長同盟の仲介・大政奉還を成し遂げるために力を尽くしたなど、明治維新に影響を与え貢献しました。 人生のほとんどを国のために奔走し、明治維新に貢献した龍馬はたくさんの逸話などを残しています。

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名前について

「坂本龍馬」の名前ですが、「龍馬」「竜馬」「良馬」どれが正しいかを知っていますか。 龍馬の読み方は「りょうま」と「りゅうま」の正しい読みはどちらなのか悩む人もいます。 龍馬本人が署名したものの中には「龍」の字で書かれており、「龍馬」が正しいとされていますが「良馬」と書いたこともあります。 そして、姪への手紙に「りよふ」と書いたことから読み方は「りょう」が正しいと言えます。 「竜」という字は「龍」の新しい漢字で、新字体の使用が義務付けられている現在では、書籍や教科書などでは旧字体を使わない事が多くあります。

諱(いみな)について

「諱」というのはその人の本当の名前の事を言い、正式な手紙などの署名に使用されます。 ただし、呼ぶことを許されたのは親や天皇のみで、他の人が呼ぶことは失礼だという考えがあったために、本名ではなく通称などで呼ぶ風習がありました。

「坂本龍馬」の名前

龍馬には、幼名・通称、実名(諱)、改名、変名などを行っていたため、いくつかの名前があります。

幼名・通称 龍馬
直陰(なおかげ)・直柔(なおなり)直陰の「陰」を嫌い、直柔と改名しています。
変名 才谷 梅太郎(さいたに うめたろう)は、最も使用されていた変名です。
西郷 伊三郎(さいごう いさぶろう) 大浜 涛次郎(おおはま とうじろう) 高坂 龍次郎(たかさか りゅうじろう) 取巻の抜六(とりまきのぬけろく)は、寺田屋で襲われた時に取り巻きから、無事に抜け出したことを元に付けられたものです。
自然堂(じねんどう)は、漢詩や画などに使用する名前のことで、龍馬の居室の名前から付けられました。

どんな人物だったか

龍馬に関わった人達からの評価は、心が広く度胸がある器の大きな人で、非常に優しく、ユーモアのある人だったと言われています。 確かに寺田屋で襲われた時に、取り巻きから無事に抜け出したことを茶化して「取巻の抜六」と付けるところなどを見ると、ユーモアのある人だったことが伺えます。 そして、柔軟な考えと行動力を持っていたからこそ、誰も成しえなかった事を成し遂げることが出来たと言えます。

竜馬の身長

坂本龍馬

龍馬は身長が高く大男であったと言われていますが、正確な身長はわかっていません。 約180cmの身長だったと言われています。 当時の平均的な身長の150cm台の中では大きい人であったと言えるでしょう。 また、姉・乙女も約174cmと大柄だったと言われていることから身長の高い家系であったと考えられています。

龍馬の家紋

坂本龍馬が家紋として使用していたのは、組み違いにした角の中に桔梗を描いた「組み合わせ角に桔梗紋」という紋です。 「坂本」という姓の由来は、明智氏の所領であった坂本(現在の滋賀県大津市坂本)が由来だとされています。 龍馬自身は明智氏ではなく紀氏の子孫だと称して、墓石にも「坂本龍馬 紀直柔 」の名で彫られています。

龍馬が愛用していたもの

龍馬が持っていた武器は、刀だけではなくピストルを携帯し、袴にブーツ、写真など、当時では珍しいものを取り入れるなどから見て、龍馬は新しい物好きだったと言えます。

ピストル

ピストル

龍馬が寺田屋事件の際に発砲したのは、スミス& ウェッソンのモデル2アーミーの33口径で、これは上海より高杉晋作が持ち帰り龍馬へと贈ったものだが、この事件の際に失くしてしまいます。 紛失したのちに購入したスミス& ウェッソンのモデル1の22口径を、妻・お龍と1丁ずつ持って、薩摩では狩猟をして楽しんでいた。

愛刀

坂本龍馬

龍馬は慶応2年12月に、兄・権平に手紙で「先祖のものを持って死に臨みたい」と伝え、先祖代々受け継いできた「陸奥守吉行」を譲り受けます。 慶応3年3月頃には、「刀剣家が褒めてくれる」と喜びを兄・権平へと宛てた手紙で伝えています。 近江屋での際には、床の間に置いてあり相手の剣を鞘で受け止めましたが、大正2年の火災により鞘は燃えてしまい、焼け跡から見つかった刀は打ち直されたものが展示されています。

ブーツ

龍馬の写真には、ブーツを履いて撮っているものが2枚あり、どちらも違うブーツを履いていると言われています。 一方は、長州沖に来ていた外国船の乗組員が履いていたものを、高杉晋作が渡したと言われています。 もう一方は、龍馬が商社を開設し様々なものの輸入をしている際に、中心となったイギリスの商人・グラパーの住居の近くに靴屋があり、龍馬の靴を作ったと言われています。

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