年表

龍馬はどんな人と関わりを持って、どんな出来事に関係して生きてきたのでしょうか。年表で見ていくと、勝海舟に出会ってからの龍馬は、勝海舟の使者として色々な人物を訪ねていること多く、たくさんの人と出会う機会を持つと同時に、各地を動いき回っているということが良く分かります。

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龍馬の年表

天保6年(1836年) 土佐国土佐郡本町筋一丁目(現在の高知県高知市)11月15日 龍馬が誕生
弘化3年(1846年) 楠山塾に通い始めるが、すぐに退塾母・幸が死去
嘉永元年(1848年) 日根野弁治の道場に入門し、「小栗流和兵法」を学ぶ
6年(1853年) 「小栗流和兵法目録」1巻を伝授江戸へ剣術修行に行き「北辰一刀流剣術」の桶町千葉道場に入門ペリー来航時の土佐藩臨時御用として品川沿岸警備佐久間象山の私塾に通う
安政元年(1854年) 剣術修行が満期になり土佐へ帰郷画家・川田小龍より「西洋の事情」について学ぶ
2年(1855年) 父・八平が死去
3年(1856年) 再び土佐藩臨時御用として江戸へ行き、桶町千葉道場で学ぶ
4年(1857年) 窃盗の罪で切腹になりかけた仲間・山本琢磨を江戸から逃がす
文久元年(1861年) 下士は武市瑞山を中心に土佐勤皇党を結成し、龍馬も加入武市瑞山からの密書を持ち、長州へ
2年(1862年) 長州の萩にて久坂玄瑞と会う沢村惣之丞と一緒に土佐藩より脱藩勤皇党による吉田東洋の暗殺事件が起こり、龍馬が疑われる千葉道場の紹介で幕府政治総裁職の松平春嶽に会う松平春嶽の紹介状を持って勝海舟を訪ねて、弟子入りを志願
3年(1963年) 海軍操練所の設立に力を尽くす勝海舟と松平春嶽によって、土佐藩主より脱藩の罪が許される大久保一翁と会い、「大政奉還論」を知る神戸の海軍塾の設立のため、勝海舟の使いとして越前福井へ 8月18日の政変により、土佐勤皇党は壊滅状態になる海軍塾の塾頭を勤める土佐藩からの帰藩命令に従わずに再度、脱藩
元治元年(1864年) 外国からの長州攻撃の調停役として、勝海舟と共に龍馬も長崎へ勝海舟の使いとして、熊本の横井小楠を訪ねる池田屋事件により、同志を失う勝海舟の使いとして、西郷隆盛に会う神戸の海軍操練所が閉鎖となる 龍馬は西郷隆盛を頼って、大阪の薩摩藩邸に保護される
慶応元年(1865年) 再び、熊本の横井小楠を訪ねる太宰府延寿王院で三条実美に謁見桂小五郎と会う中岡慎太郎と下関を発ち、上京薩摩藩の援助してもらい、土佐脱藩の仲間と亀山社中を長崎に設立京都薩摩藩邸で西郷隆盛と会見し、薩摩藩の名義で長州藩に武器の購入を承諾させ、長州藩から薩摩藩へ兵粮米の購入を斡旋
2年(1866年) 薩長同盟が成立 伏見の寺田屋で奉行所の役人に襲撃される薩長同盟の裏書きを、桂小五郎に求められて署名西郷隆盛達の勧めで、お龍と鹿児島を旅行下関での長州と幕府の戦争に参加亀山社中の経営難により解散を考える 蝦夷地の開拓を企画し、大極丸の購入を検討
3年(1867年) 長崎の清風亭で、溝渕の仲介で土佐藩参政・後藤象二郎と会見 亀山社中を海援隊と改め、海援隊長になる 瀬戸内海で紀州藩船・明光丸といろは丸が衝突して、いろは丸が沈没 夕顔艦で後藤と長崎から上京し、「船中八策」を提案 藩士盟約の成立に、中岡慎太郎と立ち会う 英国のイカルス号の水夫が殺害され、海援隊が疑われる 松平から山内容堂への手紙を預かり、土佐藩大観察・佐佐木高行に渡す ハットマンから小銃1300挺の購入する契約を交わす 下関で海援隊士に200挺を大阪に送らせる 幕府若年寄・永井尚志に面会して、大政奉還への意見の採用を求める 戸田雅楽と新官制擬定書を作成 松平の上京と、由利公正に新政府へ勤めることを説得しに越前へ 永井尚志と面会 近江屋で中岡慎太郎と襲撃を受けて龍馬は即死

龍馬の子孫

龍馬とお龍の間に子供はいなく、明治4年(1871年)に龍馬の系統が途絶えないようにと、長姉・千鶴の長男・高松太郎が養子となり、「坂本直」と名を改めて家名を継いでいます。また、千鶴の次男は兄・権平の養子となって、「高松南海男」から「坂本直寛」と名を改めて坂本家第5代当主として本家を継いでいます。 龍馬の夢であった蝦夷地の開拓は、甥である直寛が明治31年(1898年)に北海道の浦臼町へ移住し、聖園農場で生活を始めた事で現実となりました。

その後、直寛は聖園教会でキリスト教の教えを広め、青年の指導や大洪水の際には救済活動を行うなど、聖園農場に貢献しました。 坂本直が亡くなって以降、その妻・留と子供が直寛を頼り北海道へ移住して来たため、「坂本」の姓を名乗っている子孫は、龍馬の故郷である高知県に居ないと言われています。移住の際、留は龍馬の手紙などの遺品を持って来ましたが、生活が苦しく売ってしまい手紙などの数が減っていましたが、坂本家第7代当主・弥太郎により買い戻され、現在は本家で保管されています。

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