影響を与えた人

坂本龍馬は他人へ影響を与える人であったと同時に、他人からの影響もたくさん受けているのではないでしょうか。特に勝海舟は、坂本龍馬が弟子入りを志願するほど、大きな影響力を持っていたのではないでしょうか。

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中岡 慎太郎(なかおか しんたろう)

中岡は坂本龍馬に協力をしてもらい、長州藩・桂小五郎と薩摩藩・西郷隆盛の会合によって、同盟を結ばせるために、薩摩と長州の間を奔走し、薩長同盟を成功させます。そして中岡は、薩摩藩と土佐藩のために奔走して、薩摩藩の大久保利通・小松帯刀と、土佐藩の後藤象二郎・坂本龍馬と共に、薩土盟約を成功させます。 その後中岡は、坂本龍馬と近江屋で襲撃され瀕死の状態でしたが、龍馬が殺された時の詳細を谷干城達に伝えた後に亡くなっています。

翔天隊

中岡 慎太郎

土佐藩に属す「海援隊」と「陸援隊」の組織が作られ、2つを合わせて「翔天隊」と呼ばれています。これらの組織は、坂本龍馬と中岡慎太郎を隊長として、それぞれ役目が分かれていました。 坂本龍馬が隊長を勤める「海援隊」は、元は亀山社中を改名して出来た組織で、物を運んだり商売をしたりしています。海援隊の規則には「外国へ行ってみたい人は、浪人であっても入って良い」と書かれていました。商売以外に、土佐藩に何かあった際には、船で応援する大事な役目がありました。 中岡慎太郎が隊長を勤める「陸援隊」は、奇兵隊を参考にして作られた新しい組織で、幕府を倒すための武力という役目がありましたが、実践は行われませんでした。

学問

中岡は漢方医・島村策吾から、中国の学問の基本となる「四書」について7歳から学び、14歳で島村塾の代講をしています。四書以外にも、間崎哲馬より詩書を学び、坂本龍馬の長姉・千鶴の夫である高松順蔵から南学を学びます。江戸では、高島秋帆から砲術を学ぶなど、向学心がとても旺盛だったことが分かります。

武市瑞山

藩が教育のために藩校を設立すると入学し、武市瑞山が1ヶ月ほど講師として剣術を教えています。その時に、武市瑞山の学識の高さや剣術の腕に憧れ、武市が高知へ戻ると中岡は高知城下へ行き、道場に入門するほどでした。武市瑞山が土佐勤皇党を結成すると、17番目に加盟しています。

勝 海舟(かつ かいしゅう)

勝 海舟

勝海舟とは、越前藩・松平春嶽の紹介により坂本龍馬は出会い、弟子入りをして航海術を学びます。その後、勝海舟の提案によって設立される海軍操練所に尽力を尽くします。海軍操練所が設立され、身分や藩に関係なく海軍術を学べる場所とした為に幕府からは、勝海舟が浪士を集めて煽っているのではないかと、疑いをかけられ閉鎖することになります。そして、勝海舟はこれからの事を心配して、西郷隆盛に龍馬の事を頼みます。 勝海舟は、身分の高さから自由な行動がとれないことが多く、龍馬が代わりに勝海舟の考える政治を現実にするため、奔走したと言われています。

名前

「勝海舟」の名前で知られていますが、実は「海舟」は号であって、名前ではありません。本名は「義邦(よしくに)」といい、幼名・通称は「麟太郎(りんたろう)」と呼ばれていました。

西郷 隆盛(さいごう たかもり)

西郷は、海軍操練所が閉鎖した際に勝海舟から頼まれて、坂本龍馬を薩摩藩邸に匿ったことによって、交流を持つようになります。 薩摩藩の代表・西郷隆盛が、坂本龍馬と中岡慎太郎の説得を受け入れた事が、薩長同盟の成功への第一歩となります。薩摩藩の代表である西郷が、脱藩して浪人扱いであった龍馬達の説得を受け入れたのは、龍馬達を信頼していたからではないでしょうか。

名前

西郷 隆盛

西郷隆盛の名前で知られていますが、本名は8代目西郷吉兵衛隆永と言い、諱を「隆永(たかなが)」から「隆盛」と改名しました。 「隆盛」は父親の名前なのですが、諱を「隆盛」へと改名したのには理由があり、功績を称えて位が与えられる際に、親友の吉井友実が誤って隆永の父親の名前を届けた為、それ以降「隆盛」と名乗っています。 その他に通称は吉之介・善兵衛・吉之助で、変名として「西郷三助」「菊池源吾」「大島三右衛門」などもあります。

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